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社 長 コ ラ ムCOLUMN

第102回
2024.06.28

人の嫌がるポストから経営陣へ

先日は手柄とおいしいポストを早めに後進に譲る必要性についてご紹介しました。今回は逆境を選択し、あえて火中の栗を拾う覚悟について考えたいと思います。これも私がお付き合いしていた大企業で実際にあった事例で、火中の栗を拾いに行ったことが機縁で想定以上の副社長まで登り詰めた方のエピソードです。

今回の登場人物は大手食品メーカーで立派なキャリアを全うされた方です。大学卒業からプロパーで定年退職までお勤めになりました。キャリアのスタートはマーケティング部門で、それは入社前からの希望だったそうです。この食品メーカーは優れたマーケティングで世界的に実績が知られている会社で、この方も非常に楽しそうに仕事をなさっていました。この会社のマーケティング部門というのは営業の第一線で経験を積んで実績を出した人が異動してくる傾向が強い部署でした。ところがこの方は珍しく新卒で最初からマーケティング部門に配属されました。そのせいで何かというと同期に限らず先輩や後輩からも嫉妬されていたようです。多くの社員がマーケティングでの活躍を夢見ているのですから仕方のないところかもしれません。それほど花形としてのマーケティングが知られた会社なのです。

この方は優秀で上層部から期待されていたからこそ、新卒で花形部署に配属されたのでしょう。その結果20代で確かな実績を残し、最年少でマネージャーに昇進されました。私が拝見していても非常に順調な滑り出しをされていました。まわりを見回したときにほとんどの同僚が自分と違うキャリアでこの部門に来ています。この方の嗅覚が優れていたのは新卒でマーケティングに配属されたのは自分しかいないということを常に意識し「これにはどういう意味があるのだろう」といつも自問自答していたことです。もちろん同期の先頭を走っている時も謙虚に考えをめぐらせていました。

そして、この会社の内部をよく観察してみると、とある地方都市が創業の地としてベンチマークされていることがわかりました。そしてその地域にある営業セクションが担当する大手量販店のクセが非常に強く、その艱難辛苦を経験した営業経験者はトータルに出世しているという都市伝説ならぬ社内伝説がありました。ところが出世確実と言われても誰もが行きたがりません。それくらい負荷のかかる厳しいセクションとして伝統的に知られているわけです。そこでこの方は結婚して家族も増えた30代の半ばに一大決心したのか、この部門への異動をみずから直訴しました。そしてこの方はその量販店をはじめとする厳しい営業活動に取り組みました。のちに振り返ると結果的にこの異動は大正解でした。実はこの方は非常に分析力があったので、自社の特徴を精査してみたそうです。するとマーケティングが花形と言われながら、役員の経歴を見ると営業で極めて高いパフォーマンスを出した人が役員の8割を占めていることに気づきました。すなわちこの会社は営業文化の強い企業で、言わば営業会社だったのです。マーケティングが花形で有名なのですが、実際の役員は叩き上げであり、厳しい営業の現場で大きな実績を挙げてきているのです。ですからマーケティング畑で営業が軽視されているわけではなく、営業で卓越した実績を挙げた人が、そのあとでマーケティングを経験しているということに過ぎないのです。言い方を変えると「マーケティング部門が長くて営業部門が短い人は最高経営会議のなかにはいない」のでした。彼は洞察力に長けていたので、そのあたりの事情を分析していたようです。ですから早めに自分が難局に打って出て、誰もが嫌がるその地域の営業を自分から希望し、結婚まもないにもかかわらず単身赴任で現地に乗り込みました。赴任してみると今で言うパワハラの傾向が強烈な商環境で、顧客の舵取りが大変難しいセクションでした。創業の地でありながら、非常に厳しい環境であることは社内で有名な話だったそうです。

この方はここに8年間も身を置き、火中の栗を拾うかたちで多くの実績を挙げることに成功しました。彼がもともと将来の役員候補としてエントリーされていたのかどうか当時はわかりませんでした。後になってわかったことですが、社内の全従業員から5%を抽出するリーダープログラムの一員に20代の頃から選ばれていたそうです。もちろん本人には知らされていなかったことです。ですから厳しい創業の地で汗をかかなくてもステップは登れたのかもしれません。しかし社内で嫌がられている部門に30代前半で自分から名乗りを上げて乗り込んで行ったわけです。そこで火中の栗を拾う大勝負に勝ったということが、後のキャリアのプレゼンスを高めることになったに違いありません。

この方は31歳で創業の地へ異動してそこから8年、厳しい営業現場を経験したのちに本社に呼び戻され、経営企画室に配属されました。この頃に国内ではありますが社費でのMBA取得メンバーに抜擢されています。その後は絵に描いたような出世をし、海外駐在を4年、財務部を3年、本社の有力営業セクションの所長を務めるなど、比較的わかりやすいコースを歩むことで、最年少の執行役員に抜擢されたのが40代のことでした。私から見ても頭脳明晰、朗らかな人柄、人間性など申し分ない方でしたから、おそらく会社が敷いたレールにそのまま乗っていても、遅かれ早かれ重責を担ったと思います。しかし最年少の執行役員という早い段階でのキャリアの消化というのは、自分から厳しいセクションに異動を名乗り出たことが評価されていると思います。おそらく5年程度はキャリアの展開を早めたのではないでしょうか。結果論ではどうにでも言えますが、「やりたい仕事」をめざして研鑽し、異動希望を出すのはセオリー中のセオリーだと言えます。ですが、もしその会社で長く勤めたい、活躍したいという場合、ご本人のやりたい仕事というのは最優先される事項ではありますが、その会社にとって重要な役割や、その部署にとって越えなければいけない壁、クリアしなければいけないプロジェクト、これらをくまなく見渡して自分からそこに飛び込んで実績を挙げることも考えるべきです。その積極性と献身性は、目の前の仕事をこなして実績を挙げていくことと合わせて、経営者をめざしていくからには重要な要素になります。ことわざにもあるように「言うは易し行うは難し」で、なかなかできることではないかもしれませんが、この事例を知ることで自己犠牲の精神というものをどのくらい自分が発揮できているか、みなさまも折に触れて鑑みていただくきっかけになれば幸いです。