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MASARU ESHIMA

FOUNDER

江島 優 創業者
その他役職・受賞・主たる著書・メディア

創業者経歴

19341953

1934年
福岡県城島町(現在の久留米市)農業を営む両親の次男として生まれる。

1953年
福岡県立三潴高等学校卒業。

1957

中央大学法学部卒業~ブラジル原始林開拓団参加、「味の素」現地法人営業

中央大学法学部卒業。

多くの学友が法曹界へ進む中央大法学部であったが、当時の大学の恩師のアドバイスもあり、必ずしも法曹界への就職に拘ることはないと考えた。
太平洋戦争で日本を破り、当時GHQとして日本の統治に従事していたマッカーサーを生んだアメリカへの渡航を考え、同国への留学を熱望した。しかし渡航費用工面の困難さに加え敗戦国の兼ね合いから直接の米国留学は至難の業であった。 そこで留学に反対する両親の説得のため渡航期間10年を区切りとしてとして後述の機会から、ブラジルからアメリカへ渡る計画を考える。

当時の日本政府募集のブラジル原始林開拓団に参加。3年間の開拓労働を条件に、ブラジルまでの片道の船賃に加え食事代12万5千円が支給された。(当時の大卒初任給は8千円程度)

「昭和三十二年五月一日出発 昭和四十二年五月一日帰国 虚往実帰 江島優」と墨で掛け軸に大書きし、神戸から「ぶらじる丸」に乗船した。
『虚往実帰』とは虚しく征きて実り帰る、裸一貫で征くが必ず実って帰ってくる、という意味で、自身で考えた言葉である。

ブラジルでの最初の仕事はサントス郊外にある、日系人経営農場での果樹栽培と収穫であった。ここで9ヵ月を過ごし、重労働に加え、当時流行していたマラリアの恐怖とも戦った。その後パラナ州のコーヒー農園に移り、電気のないところで自給自足しながら、2年数か月を過ごし任務を終える。

3年間の原始林開拓事業団の契約期間満了後、既に同地に進出していた日本大手加工食品メーカー「味の素」の現地法人採用の営業職に就いた。ブラジルの国土の約4分の1を営業テリトリーとして、サンプルを抱え行商を行う。長距離バスで30時間かけて移動を行い、アマゾン川の上流を船で何日もかけて上るなど、日本では考えられないような状況だった。アマゾン流域の集落を新規顧客として販売実績を重ね、隣国パラグアイのテリトリーも任せられるようになる。この味の素での三年間で功績により、アメリカへの留学費用を作った。

1964

米国留学

北米に渡航し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校に入学。アメリカではビバリーヒルズでハウスキーパーやベビーシッター、庭師のヘルパーなどで生計を立てながら経営学を学んだ。

この米国留学時に当時のビバリーヒルズでは映画を作成するときに俳優・スタッフを集めるコーディネートビジネス(いわゆるエージェント)の活躍を見る機会があり、これから戦後復興が本格化する日本、また生産鉱物資源を保有しない日本にとっては人材しか世界と渡り合える資源がないと痛感。日本に帰国して準備を行い人材業を立ち上げようとこの留学期間に、きっかけを掴むこととなった。

1967

帰国、独立資金作り

日本へ帰国。独立資金作りを目指し、ハイリスク・ハイリターン、短期間で資金を得るため株式会社テックにてフルコミッションセールスにチャレンジする。金額歩合制の英会話の独習機販売の外資系企業に入社する。初期は販売実績が皆無に等しかった。創意工夫と試行を重ね、新潟や長野といった地方の工場エンジニアに売ることを思いつき、工場長に英会話の重要性を説得し、社員やその家族への販売という手法で、大きな売上獲得に成功する。この手法で全セールスマンのトップを3年間独占した。昭和40年代にあって月収100万円以上を稼ぎ、現在の価値に換算して3年間で3000万円以上の剰余金を稼ぎ出し、独立起業への資金を蓄えた。
その実積から在籍していた企業の香港支社の支社長のオファーを受けるも固辞。
当時数社しかなかった日本の人材ビジネスの企業の共同代表を一時務めるなどしながら、準備を進める。

1975

東京エグゼクティブ・サーチ株式会社設立

東京エグゼクティブ・サーチ株式会社設立、代表取締役社長に就任。

会社設立時は終身雇用・年功序列といった雇用流動性が極めて低い時期に当たり経営の舵取りは苦難の連続であったが、日本に進出し始めていた外資系企業の日本法人の経営幹部ポジションの斡旋を皮切りに、日本の中小企業の経営幹部、日本の大手企業の経営幹部と、少しずつ高まりだした日本の雇用流動性と共に業容を拡大していった。

また日本の人材紹介業の発展のため、業界団体(現・日本人材紹介事業協会)を設立、長らく会長を務め、業界の発展にも尽力する。

19992021

1999年
拓殖大学客員教授(非常勤)就任。

2000年
東京エグゼクティブ・サーチ株式会社 代表取締役会長に就任。
社団法人 日本人材紹介事業協会 会長に就任。

2002年
社団法人 全国民営職業紹介事業協会副会長に就任。

2005年
日本弁論連盟 会長に就任。

2006年
社団法人 日本人材紹介事業協会 名誉会長に就任。

2010年
東京エグゼクティブ・サーチ株式会社社長を兼務、代表取締役会長兼社長に就任。

2012年
社長職を離れ、代表取締役会長に就任。

2021年
代表取締役会長を離れ、創業会長に就任。

2021年
3月5日に86歳で永眠。

その他役職

  • 社団法人 日本経営学士会 理事
  • 日本生涯現役推進協議会 理事
  • 未来構想戦略フォーラム 世話人代表
  • 社団法人 日本経済団体連合会評議員
  • 福岡県人会評議員
  • 日本長老会メンバー
  • 三潴高校東京同窓会会長

受賞

1987年

第2回国民文化祭油彩画部入選 細川護煕熊本県知事賞受賞

1996年

民営職業事業の運営と発展に寄与したことで労働大臣賞受賞

2005年

日本の人材紹介業の発展に寄与したということで当時、業界では初の叙勲・旭日双光章を受賞

2007年

日中国際人材交流の発展に寄与 大連市人民政府より「星海友誼奨」受章

主たる著書

  • 「重役にスカウトされる法」(1979年ロングセラーズ刊)
  • 「人を“買う”自分を“売る”研究」(1988年大陸書房刊)

メディア

  • NHKテレビ番組「人間マップ」に出演 1994年
    【テーマ】ヘッドハンター登場
    【ゲスト】江島 優